漆黒の甲殻男がおぞましいうなり声を上げ、濃紺の甲殻男へと飛び掛った、濃紺の甲殻男は、ヒラリと身を翻すとその右手に青い閃光が走った。
「け、剣?」 濃紺の甲殻男の右手に、さっきまでは無かった刃物の様な物があった。
「ヤハリ、クサナギノツカサドルチカラハ『ヨロイ』・・・・・・」漆黒の甲殻男は濃紺の甲殻男と距離をとると、翼をたたみ、両手を宙に掲げた、すると、激しい緑色の閃光が走り、光が消えると、ゲームに出てくる様な、諸刃の巨大な剣が現れた。刃渡り2mは軽く越えていた。
「ナゼ『ツルギ』ヲ・・・・・・」 濃紺の甲殻男が唸った。
「イズレ、ワガイチゾクハ『ヒカリ』モ『ケモノ』モシュウチュウニオサメル、キサマラニハココデキエテモラウ」 漆黒の甲殻男は大剣を構えると、地面に叩き付けた。
轟音と共に、地面が砕け、辺り一面が崩壊した。
圭介は空を飛んでいた、しかし、自分の力で飛んだわけでもなければ、この間のように殴り飛ばされて飛んだわけでもなかった、翼の生えた、濃紺の甲殻男に抱えられて飛んでいた。
「あ、あんたは一体・・・・・・」 圭介は甲殻男を見上げた。
「ダイジョウブ、ケイスケハワタシガマモル」
その声は恐ろしくも優しい声だった。
甲殻男との戦闘から三日後、圭介は中学校生活最後の夏休みを迎えた。夏休みといっても、部活に所属していなければ塾にも通っていない圭介にとっては退屈以外の何物でもない、おまけに、荒くれ者の圭介は学校では孤高の存在で、友達と呼べるものはいない。ほぼ金髪に近い茶髪に、やや日に焼けた肌は彼の見た目の怖さをより一層引き立てた、顔は決して悪い方ではなく、むしろ良い方なのだが、女子生徒からは怖がられていた。
圭介には目標や夢が無かった。同級生は将来の進路について真剣に悩んでいるというのに、彼は何もしなかった。彼の目の前にはぼんやりとした未来も無かった。
気が付くと、圭介は町外れの草むらに来ていた。時間は午前七時、辺りに深い霧が立ち込めていた。
ふと、圭介は何かを感じた、臭いだ。鉄のような臭いが突然、鼻についた。
「な、何なんだ・・・・・・?」
続いて、何かを見た。少し先に青い煙のようなものが見えた。圭介はその場所へと向かった。
突然、何かに躓いた、圭介は膝と腹をしたたか打った。足元を見ると石が落ちていた、それは青く濁っていて、丸みを帯びていた。圭介は幼い頃、家族で海に行った時に見つけた「海ガラス」というものを思い出した。波に洗われて角が丸くなったガラスのことだ。それはあまりにも綺麗で、圭介は泳ぐのも忘れて集めていた、家族も一緒になって集めた、誰が一番多く集めることが出来るか競っていた・・・・・・
「 ! 」
懐かしい思い出は消えた、青い煙の中から人影が現れた。
「あ、あ、あぁ・・・・・・」 圭介はその場に崩れ落ちた。目の前に信じられない光景があった。
甲殻男がいた。しかし、この前に会った奴とは似ているようで違う、もっと醜悪で、悪魔に見えた、漆黒の体に、血が流れているような模様が浮かび上がり、背中には巨大な翼、顔は、顔と呼べるようなものではない、醜く、恐ろしい、この世のものとは思えない。
「な、なん・・・・・・あ、うぁ・・・・・・」もはや圭介は悲鳴を上げることも出来なかった。
「ミツケタ、クサナギケ、ヨロイヲ、マトイシイチゾク・・・・・・」
「え・・・・・・?」
甲殻男が話しかけた、しかし、圭介に対してではなかった、圭介の後ろに三日前の濃紺の甲殻男が立っていた・・・・・・二人の甲殻男が対峙した。
伝承に残されるような十二枚羽の天使などはとうに除外された
これから語られるのは異形の天使の始まりと終わりと道しるべ
語られるもの
伏せるもの
除けられるもの
解かれるもの
四つの天使の予言--起源と終末
未来と明日と そして明後日
タツヤ
タツヤは深く息を吐くと、大きく深呼吸した。全身から汗が噴出し、心臓の鼓動が大きく波打つのが感じられた。
――死ぬところだった。
理佳が倒れ、自分の所にも"奴"が来たのだ。
タツヤの前に広がる巨大なスクリーンには、大画面で巨大な"それ"――伽椰子――の顔が映し出されていた。巨大な伽椰子の顔は、瞬きすらせずに、恐ろしい表情のまま固まっている。左上には"一時停止"の文字が。
――マジで、死ぬほど怖かった。
タツヤは自分の部屋に戻ってきていた。
気持ちを落ち着かせた後、スクリーンの前のソファに座り、リモコンで再びDVDを再生させた。スクリーン上の伽椰子が、目を丸くしていた。
その表情を見るや、タツヤは込上げてくる笑いを堪えきれず、思わず腹を抱えて笑った。画面の中の伽椰子は、相変わらずキョロキョロと周りを見渡している。
タツヤはDVDを巻き戻すと、冒頭から流し始めた。
理佳
――なんで私が――
仁科理佳は熱い濡れタオルを絞り、一面に老人斑が浮き出た老婆の背中を擦りながらそう思ったが、同時に、福祉に携わる者の一人として自分の思ってしまった事を恥じた。
「幸枝さん?何か他にやって欲しい事はありますか?」
耳が遠いのか、はたまた痴呆が進んでいるのか?やはり老婆は理佳の呼びかけに何の反応も示さなかった。
老婆は虚ろな目で木々の生い茂った庭を見つめ、時折「か・・・や・・・こ・・・・・・か・・・や・・・こ・・・」と意味の分からないことを呟いていた。
理佳は仕事を引き受けた事を後悔していた。大学で社会福祉を専攻している理佳は、将来的にこういった仕事をするのだろう。だから仕事として割り切ってしまえばなんでも出来る。だが、正直言うと今のボランティアという立場から、そういう風に割り切って考えることが出来なかった。ただ、福祉センターの職員の広橋から半ば強制的に頼まれたものだから。
そもそもが自分の手に負える仕事ではないのは確かだ。だって担当の高橋綾香は音信不通だし、この徳永幸枝の息子夫妻もここ何日か前から連絡が取れないし、実際に来てみたらこの調子だ。この家は異常だった。
息子夫婦は幸枝を残したまま何日も外出しているようで、幸枝は彼女の糞尿で汚された布団の中で何も食えない状態で放置されていたのだ。
幸枝を新しい浴衣に着替えさせた理佳は、異臭を漂わせている部屋の掃除に取り掛かった。部屋の荒れ方は尋常じゃなく、誰かが暴れた、もしくはわざと汚したと思えるようなまでに、執拗に荒らされていた。
糞尿で汚れた布団を庭に干し、汚れで半ば腐れかけている畳をタオルで拭いた。そして、掃除機をかけている時だった。何かを吸い込んで詰まったので、一度スイッチを切り、詰まっている物を取り出すと、そこには一枚の写真があった。
写真には黒い猫を抱いた5歳ぐらいの男の子を間に挟んで、左側に父親と見られる額が後退し始めた中年の男、右側には母親と見られる女性が写っているが、彼女の顔の部分だけ破れていた。
この人達が徳永夫妻なのだと理佳は思った。
一階の掃除が一通り終わった。幸枝は相変わらず庭をぼんやりと見つめている様だったので、二階の掃除に取り掛かることにした。
掃除はホームヘルパーの仕事の一つだが、この様に老人を一人部屋に残して勝手にどこかへ行ってしまう事は普通ありえない。
だが今の理佳にとっては、幸枝と二人きりの空間にいる事が苦痛だったのだ。
そしてそう想う反面、福祉に携わるものとしての責任感から、理佳は申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。
――おばあちゃん、ごめんね・・・――
心の中でそう呟いて、理佳は幸枝のいる和室を後にした。
――徳永家。
徳永家の階段は玄関に入ってすぐの場所にある。玄関の上は吹き抜けになっており、1階からでも2階へ続く直角に折れ曲がった象徴的な階段と、2階の部屋へ繋がる通路兼踊り場が見え、2階に上ってから一番奥にある―玄関から一番近い―部屋の窓が見える。
1階は階段の脇にある廊下を中心に部屋が広がり、玄関に入ってから右側に、リビングがあり、その奥に幸枝のいる和室がある。正面にはキッチンがあり、和室と勝手口へと繋がっている。
2階は寝室と個人の部屋となっており、徳永夫婦の寝室は階段を上がってすぐの場所にある。
至って普通の家だ。
しかし、理佳はこの家に着いた時から、何か尋常じゃない空気が漂っている事に――第六感――感覚的に気が付いてた。
2階へと続くこの階段の、中程で直角に曲がっている所まで上がった時に、急に――理佳は言いようのない不安な気持ちになり、足が止まった。
――え、何?――
それは理佳の――理性からなる――意思で考えた行動ではなかった。理佳の中の防衛本能が、理佳の、体の中の、何かが、《進んではいけない》と忠告していたのかもしれない。理佳には経験なかったが、それは例えば、水面にサメの三角形の背鰭が見え隠れしている海の中に入っていくような――あるいは伝染病で死んだ人々の死体の中を歩いていくような――そんな感じだった。
それは不安じゃなくて、確信。そう、確信だった。この上には間違いなく『何か』が『いる』のだ。それも、相当"危険”な『何か』が。
《行ったらダメ、2階には、絶対に行ってはいけない》
心臓が高鳴り、膝がガクガク震え、口の中がカラカラに乾きだす。だが――
――何考えているのよ、私ったら・・・。ここは広橋さんに無理やり頼まれて来ただけの、ただの仕事先じゃない。"危険”だなんて、ありえないわ。あんたバカみたいよ。――
理佳は自分自身の《行くな》と言う防衛本能の制止を振り払い、また一段一段と踏みしめるように階段を上っていった。
その時だった。
「それ以上進んじゃいけない!!」
誰かが理佳に向かって大声で叫んだ。
「キャ!!」
何の物音もしないような家の中で、一人緊迫していた理佳は、突然のハプニングに声を出して驚く。
そして反射的に声のした方を振り向くと、玄関を入ってすぐの所にどう見ても理佳より年下だろうと思われる10代後半ぐらいの青年の姿があった。
――誰・・・?――
理佳は強張り、眉を細めながら彼の事を見た。
「説明は後でするから!とにかく今は早くその階段を降りて!」
この後の展開の何もかもを理解しているかのような素振りで、大声で理佳に命令する青年。
「あな・・」
―ドスン!―
《あなたは誰なの!?》と彼女が発しようとした時、2階の部屋のどこかで大きくて重い『何か』が落ちる音が響いた。
「え・・・何?」
「"奴"が来たんです!早く!手遅れになる前に!!降りて!!」
――"奴"?――
理佳は何がなんだかわからなかったが、一つだけ分かっている――本能的に感じている――事があった。
今、ここにいてはいけない、彼の言う事を聞くんだ――何かはわからないけど、とてつもなく恐ろしい『何か』が向かってきているのだ――、と。
ず、ず、ずず、、
物音がした部屋の方から、大きな"何か”が、床を這いずりながら近づいてくる音が聞こえてきた。
「早く!!!」
青年の叫びと共に、理佳は階段を駆け降りた。
――もっと速く!もっと、もっと!
ギ・・ギ・ギィィ・・・
2階の部屋の扉が開く音がした。
理佳は必死で降りた。青年は、ドアを開け外への脱出口を確保していた。
――もっと速く!もっと、もっと!
理佳が一階の床を踏み、青年のいる出口へと体を向けた、その時――『それ』と目が合った。
てっきり、『それ』は2階から降りて来ているものだと思っていたのに、『それ』は、自分を逃がそうとしてドアを開けて待っていてくれている青年の後ろにいた。――つまり家の外から必死に逃げようとしていた理佳を、『それ』はずっと"見ていた"のだ。
そして、『それ』は、不自然なまでに顔を歪ませて笑っていた。
「いやぁああ!!」
現実のものではない『何か』を見たかのように理佳は絶叫し、その場で尻餅をついた。全身が総毛立ち、下腹部に冷たいものを感じた。
「何してる!?理佳さん!!」
青年が知るはずのない私の名を呼んだという事なんて、どうでも良かった。だって彼の後ろには――。
――・・・え?――
何もいない。
ただ家の中とは対照的に、ドアから見える外の景色は、明るく希望に満ち溢れているように理佳には見えた。涙が溢れてきた。
「理佳さん!!」
青年は、一度躊躇した後に、ドアから離れ理佳の元へと駆け寄った――その瞬間――バタン!っと勢いよくドアが閉まった。
「・・・!!」
すぐに引き返し、ドアを開けようと試みたが、外から押さえつけられているかの如く、硬く閉ざされていた。 逃げ道は閉ざされてしまったのだ。
「一体、何が、何がどうなってるの!?あなた誰なの!?何なのよ!!」
理佳が涙を流しながらヒステリックに青年に訴える。
「俺は、俺の名前は達也・・・村上達也。俺と君は、今、『伽椰子』と言う女の怨霊に、多分、殺される。このままだとね。・・・いや、君はまだ死なないかもしれないけど・・・。」
達也と名乗ったその青年は、この状況で――しかもお互いの死の宣告を――淡々と、冷静に話した。
「あぁ・・・。」
先ほどまでヒステリーを起こしていた理佳だが、あまりに驚愕な――現実離れしているのに、実に現実的な――彼の台詞を聞き、言葉を詰まらせた。そして――
「・・・どうしたら・・・?」
少しでも状況を理解していると見える達也に、哀願する形で――希望があるか――助かる術はあるのか――希望はあるのかと聞いた。
「・・・わからない・・・が、・・・試したいことはある。全ては彼女の気分次第だが・・・。とにかく、逃げるぞ!」
「ダメ・・・動けない・・・」
理佳は恐怖で腰が抜けていた。
――その時――
「ひいいぃ・・・う"ぅぅぅ」
どこからか老婆の呻き声が聞こえてきた。
理佳にはわかった。それは確かに幸枝の声だった。
「幸枝さん・・・・!!」
「!!・・・理佳さん!!」
理佳は突然立ち上がり、達也の制止を振り切って幸枝のいる和室へと走りだした。
体が不自由な彼女を置いて行く事なんて出来ない。彼女の正義感が、彼女の恐怖に打ち勝ったのだ。
きっと徳永夫妻はもう、この世にいないのだろう。徳永幸枝は、この危険な家で、何日間も独りで戦ってきたのだ。そして、その彼女を私は、また独りにしたのだ。
狭い廊下を駆け抜け、キッチンを抜け、和室へと飛び込んだ。
布団の上に横たわる老婆は、目をかっと開き、顔は恐怖で歪み、微動だにしなかった。瞬間、理佳は老婆が息絶えている事を感じ取った。が、それでも叫んだ。
「・・幸枝さんっ!しっかりしてください、幸枝さん!・・・幸枝さんっ!!!」
触れてみると、まだ温かかったが、それはもう徳永幸枝ではなかった。
恐怖と、老婆を見殺しにしてしまった罪悪感から、また涙が流れ出そうになった。
ポンっと、肩に手が触れた。
達也が慰めてくれている。
「・・・り、理佳さん・・!!」
自分の真後ろにいると思っていた達也の声が、左から聞こえてきた。左を向くと、自分が入ってきたキッチンから繋がる入り口に達也が立っていた。達也は蛇に睨まれた蛙の様に硬直している。
私の肩を叩いた"この手"は達也のものではなかった。
――じゃあ、誰の――
考える間もなく、理佳は後ろを振り返いた。いや、無理矢理向かされたのだ。
そして、そこに"それ"がいるのを見た。
"それ"が不自然に顔を歪ませて笑った時、理佳は目の前が真っ白になり、倒れこんだ。薄れゆく意識の最中、達也の叫び声のみが耳に残った。